Shopping Cart

Ronnie Fieg's Journal - Kith for the New York Knicks - 1998-1999 Team

この2年間、Knicksのシティ・エディション・ユニフォームをデザインできたこと、そして今年も携われることを光栄に思います。最新作がお披露目になる前に、このユニフォームにインスピレーションを与えたチーム、1998-99年のKnicksについてお話したいと思います。
1999年、私はクイーンズ区ジャマイカに住む16歳の少年でした。NBAはロックアウトに陥り、シーズンが50試合に短縮されていました。新しいチームとしてその年を迎えるにあたり、当時最も物議を醸していたLatrell SprewellとJohn Starksをトレードし、若きMarcus Cambyを獲得するためにCharles Oakleyをトロントに送り出しました。さらにフリーエージェントで、Kurt Thomasとも契約しています。

先発メンバーはEwing、Houston、Johnson、Thomas、そしてWardの5人。Sprewellはベンチからのスタートでした。スター選手がいる訳ではありませんでした。しかし、私たちはタフで、気骨のある、ニューヨークのチームでした。最後の8試合で6勝し、プレーオフの第8シードを獲得してシーズンを終えました。その時のことは、今でも忘れられません。

第1戦は、第1シードのHeatとの対戦。2勝2敗のタイで、第5戦はマイアミで行われました。残り4.5秒、ボールを持ったHoustonが送ったフローターはHeatファンの心を射止め、Knicksを準々決勝に進出させました。Knicks史上最高の瞬間の一つです。それを父と一緒に見て、リビングルームで2人で大騒ぎしたことを今でも覚えています。

その後、私たちはHawksに全勝。圧勝でした。しかしその結果、Eastern Conference FinalsでPacersと対戦することになりました。インディアナで開催された第1戦はものにしましたが、第2戦は敗れました。しかし、第3戦で全てが変わりました。この頃私は都会で働いていたので、父がKnicksの試合を録画してくれていました。私が家に帰ると、父が「Knicksが負けた」と言ったんです。腹が立ちましたが、それでも自分の部屋に行ってテープを見ました。残り11.9秒、Pacersが91-88で勝っていました。座り込んで負けたと思いつつも、最後のブザーを見たかったのです。Pacersはインバウンドを奪いましたが、Larry Johnsonがそれを取り返しました。時計が6.3秒になった時、LJは3ポイントシュートを放ち...そしてそれが入ったのです。彼はラインに進み、フリースローを打ちました。勝ったのです。私は圧倒されていました。そして、私がゲームを見終わるまで起きて待っていた父の部屋に走りました。私が駆け込むや否や、父は「信じられるか!!??」と叫びました。その後、私達はこのシリーズに勝ち、ファイナルに進出しました。

私達はNBAファイナルに進出した最初の、そして未だ唯一の第8シードになりましたが、Spursに負けてしまいました。でも、あのシーズンの記憶は今でもずっと私の中に残っています。その気持ちを、新しいシティ・エディションのユニフォームデザインと、これから発売されるKith for the New York Knicksコレクションで表現したいと思いました。ニューヨークから、世界へ。

Related Content

Kith Tokyo Window Installation for Nike Air Max Dn

Kith Tokyo Window Installation for Nike Air Max Dn

Kith for New York Botanical Garden

Kith for New York Botanical Garden

Kith for New York Botanical Garden Monday Program™

Kith for New York Botanical Garden Monday Program™

Treats Sakura の販売方法に関して / Raffle Announcement

Treats Sakura の販売方法に関して / Raffle Announcement

Treats Sakura

Treats Sakura